娘ミッション(約束編)の後に②まだ怒ってる笑
結局、私たちが必死で体得してきた「約束を守る」っていうのは、
できるようになるまでは、それを遂行するのがすごく大変なことで、
できないと、周りの大人やら既に体得済みの子どもから罵倒されたり、批判されたり、睨まれたり、疎まれたり、信頼が得られなかったり…辛い思いを経験することになる。
その罵倒したり、批判したり、睨んだり、疎ましがったり、信頼しない側の人は、「痛い目でも見て血反吐を吐きながら社会のルールを覚えろ!」と(いやそれはさすがに大げさだけど笑)言っているように感じる。
約束を守れない身としてはとても辛い。
でも仕方ない、約束を守らない方が「悪」なのだから。
あれ、この約束を守るっていうルールは、学校教育の主軸の1つではあるまいか?
過去に遡って、ルールを最も重んじていたのは武士の時代とかかなぁ。
でも武士も商人に対しては、武士たちの多額の借金帳消しにしてね、という無茶苦茶な御触れを出してたりする。ど酷い。
過去の偉人にも、野口英世は、研究費の援助を取り付けたいために、そのお金持ちの娘と婚約しておいて、研究費をもらうだけもらって、逃げ出して、結局他の女性と結婚したって聞いたなぁ。なんてやっちゃ。
ルールはあっても、臨機応変にという感じなのか。
だから、社会に出たらルール厳守!守れない者は悪!というのは、日本古来の教えという訳でもなさそう。
私たちがルールを守らないと社会が成り立たないと思うのって、私たち親世代が、お利口なホワイトカラー従事者を増やすことが目的の、学校教育に染まっているからなのかも。
だって、ルール守るの、できるようになるまでむちゃ辛い。
人に責められたり、無限ループで自分を責めたりする。
そんな辛い思いしてやっとのことで体得したこの能力、また一から子どもに身に付けさせるのも辛い。
修行かと思う。それに伴う喜びの要素、Mっ気強い人以外、親側はゼロ、子ども側もゼロじゃないかな。
これ、子どもが生まれながらに持ってないのなら、教える必要ない能力なのかも?
「約束守れないと、この先苦労するから!」という先入観で「今日はYouTube動画1つ見たらおしまいにしようね。」「おーい、おしまいにするよ。」「もう!なんで約束守れないの!約束守ってもらえないと、お母さん大事にしてもらえてないみたいで悲しいんだよ。」「ごめんね、明日からもう見せてあげられないよ。動画1つ見て終わりにできないんだから。」「次は1つで終われる?それこないだも言ってたじゃん。もう切るからね。」(内心:そろそろこのくらいの約束守れないと社会でやっていけないんだからね!)という不毛の戦いに突入する。
エンドレス!
親は超辛い。
子どもも超辛い。
理解させるまで地道すぎる。
心を鬼にするとはこのことだと感じる。
そこまで心を殺して鬼になる必要あるのかと感じる。
今の学校教育をお手本にしないとしたら…いつの時代の子育てを参考にすればいい?
昭和?ちがう。
明治?ちがう。
江戸?うーん、何かおしい、ちがう。
安土桃山?室町?てどんな子育てしてたねん?
…茶道や剣道、はいいかも知れない。けど、幼児から始めても、心の成長が伴ってくるのって小学校中学年以上じゃないかな?
平安?飛鳥?は庶民は教育受けてなかったんじゃないかな?
更に遡って、弥生?縄文?
んん縄文!?
争いのなかった縄文時代の教育か!!
アイヌやインディアンの教育ってどんな感じなんだろう?
知りたいなぁ〜(((o(*゚▽゚*)o)))
知りたいなぁ〜〜(((o(*゚▽゚*)o)))うふふワクワク
やっと怒りから解放された笑
娘ミッション(約束編)の後に
結局、押さえ込んでもふとした拍子に出てくる「怒り」。それを一通り感じて(怒り飽きて)その後に出てくる「悲しい、寂しい」の感情までたどり着いた。
そう、その「悲しい、寂しい」は怒りの核の部分なんだけど。
それで、私は何が「悲しい、寂しい」と思っているか。
娘を大人のルールで縛りたくない。
大人のルールを守ってもらわないと、私や周りの大人が苦しい。
大人のルールを守ってもらわないと、周りの大人から私が白い目で見られるのが嫌で苦しい。
私なりに一生懸命守ってきた世間の平均レベルの「信用」を娘のせいでなくすなんて辛い。(私は気をぬくと信用をすぐ失う、だから、必死に「初めての人に抱く程度の信頼」を守っている。)
娘に「自由にしていい」と守ってあげられなくて悲しい。
私のこの考えを理解してくれる人がいなくて寂しい。
そうか。
また怒りと悲しみのテーマにたどり着いたぞ。
堂々巡りかい笑
あと、話は逸れるけど、私って気をぬくと信用や信頼をすぐ失ってしまう人と、自分で認識してるんだね!
私はそのままで信用や信頼に値する人だとイメージしてみよう。A10神経使って。
娘ミッション(約束編)
昨夜、お風呂で
私「鍼の予約しようね。明日にする?来週にする?」
娘「明日!」
私「わかったー!鍼先生に電話お願いしとくね。」
今日、園のお迎えの時
私「鍼先生行くよー!」
娘「やぁだー!」
その後、少し遊ばせて、もう出発しないと間に合わないギリギリの時間まで待って、
私「あと1回やったら行くよ。はい、終わったからもう行くよー!」
娘「やぁだ!園庭で遊ぶー!」
私、門のところへ移動して「行くよー!」
娘「置いてかないでーぇぇえーーーーん!」と駆け寄る。
私「置いてかないよ。移動しただけ。大丈夫。あ、もう行く時間。車に乗って。」
娘「やぁだーー!えぇーーーん!」一応車に乗るが、チャイルドシートに座るの拒否。
娘「やぁだーー!園庭であそぶ!鍼先生来週にする!えぇーーーん!」
パン屋さんに行くよ。
鍼先生に会えるよ。
鍼先生と約束したから、娘ちゃんのこと待ってるよ。
行かないと先生悲しいよ。
◯◯ちゃん(お友だち)とママ、インフルなっちゃっただって、娘ちゃん風邪ひきになる前に鍼先生でなでなでしてもらおう。(子どもの鍼治療は、釘のようなものを持ってなでなで。)
園庭では遊べないけど、明日はお気に入りの公園に行こう!だから今日は代わりに鍼行こう!
など説得を試みるが、全く聞いてもらえない。
(どうやら泣く前の段階で説明しないといけなかったようだ。泣くともう聞く耳持たないから。)
結局、電話で予約をキャンセルさせてもらった。
このミッションで娘の伝えたかったことは
予約や約束さえも流動的でいいということなのだろうか。
それとも、それが予約するべきかどうかを、察知する野生の勘を磨けということなのか。
今日は「当日予約にも関わらず、気が乗らないという理由で予約をドタキャンする」というミッションでした。
娘のためによかれと思って予約したのになぁ…。
(他人の今必要な物を推し量るっていうことは、今後不要になっていくのか?精度を上げろということか?)
娘ミッションの娘側の目的
どうやら娘は「制限をなくせ、制限をなくせ」と伝えたいようだ。
そして、制限のない生き方を選ぶタイミングとして、どうやらリミットが近いようなんだ。
制限するととても怒るのは、わざわざ私のためにして見せてくれていることを、私が妨害しているからのようだ。
親孝行者なんだね。
娘ミッション
娘はかれこれ4時間YouTubeを観て。
その4時間の間に、「マック行くよ!」と、声高らかに私を誘導し、「やっぱりまだ観たい。」とまたYouTubeを点け、しばらくして「マックに行くよ!」というのを繰り返し、娘の3回目の「マックに行くよ!」という号令で、そして私たち親子2人は最寄りのマックに来ている。
娘はお目当てのハッピーセット(ぷりきゅあ)を選び、ポテトと牛乳とハンバーガーを召し上がっている。
「やっぱりいらん。」と、ハンバーガーを4くちほどで残して、隣の席に人がいないので、ポテトをつまみながらベンチを左右に移動し、他のお客さん相手に人間観察をしている。
そしてポテト半分と牛乳ほとんどを残した。
結論として言うと、
よかった。娘の本能を信じて。
娘の生きる力を目の前に、改めて惚れてしまいそうだ!
彼女が生まれてから私の勝手に背負ってきた「産んだ私の責任だ、この子の将来はわたしにかかっている、きちんと育てなくては!」という責任感は、意味不明な独り相撲だったのだと改めて認識した。
私の努力があったから、いい方に育ったんだ!という心の声も聞こえてくるが笑そんなことはないだろう。
こうしてまた、娘は私に新しい選択肢という自由を与えてくれるんだなぁ。
ただ、次の予定かあるときは、YouTubeを切り上げられるようになると、親はとても助かるのだけど…笑
話を聞かない夫の才能②
夫が親戚の美容院で髪の毛を切ってもらうタイミングで、時々娘も同行し前髪を切ってもらう。
「この前言ったと思うけど、娘の前髪カットするなら予約の時に言ってほしいって言われたよ。」
など、「この前言ったと思うけど…」と言われることが立て続けに起こった。
私の方こそ、夫の話聞いてなかった笑
だって、私のキャパに収まらない情報は、私の管轄外とさせていただきたい!!!
しかし、今後は夫が話聞いてないことを責めてはいけないと反省した出来事だった笑